奨学生の声 2022年度
「私が学生時代に打ち込んだこと」
東京大学大学院 理学系研究科
匿名
私は、博士課程への進学時に東ソー奨学金に応募し、採用されました。応募の理由は、博士課程の3年間を過ごすにあたって経済的な不安があったためです。東ソー奨学金により経済的な安定を得た私は、博士課程の3年間において研究に熱中することができました。本作文では、私が3年間打ち込んできた研究についてご紹介させて頂きます。
私は幼少期より「感情」に興味がありました。喜び、悲しみ、怒りといった感情は、私たちを強く突き動かす行動の原動力です。自分の感情はいついかなる時も強く感じられるものの、他の人がどのような感情を抱いているかは、その人の表情や行動から推測するしかありません。時折周囲の人たちがどのような感情を抱いているかが分からない時がしばしばあり、その度に私は人間の感情の不思議さに思いを馳せていました。その後、年齢を重ね勉強をするにつれ感惰は脳の神経細胞の働きにより生み出されていること、しかしその詳細な原理についてはほとんど解き明かされていないことを知りました。脳神経細胞が感情を生み出す仕組みに興味を持ち、私は大学の生物系の学部に進学し、大学院では脳科学の研究を行っている研究室に配層されました。
配属された研究室にて、私は多くのことを学ぶことができました。配属された当初は、生物実験の基礎や分子生物学、神経科学について猛勉強をしました。同時に、実験の細かいテクニックや研究の進め方など、座学では身に付かないような実践的なノウハウについても、研究を進めていく中で習得することができました。また、研究室内の論文紹介や進捗報告では、英語の論文を読み最先端の研究の動向を追う訓練や、自分の考えを客観的に分かりやすく説明する技術を磨くことができました。そして、博士課程に進学してからはより多くの学びを得ることができました。まず、研究室の運営に深く携わることができました。実験廃棄物の処理や、実験動物の飼育室の管理、外部からの留学生受入に関わる業務、学生実習にて実施する実験カリキュラムの考案など、幅広い業務を通じて研究者としてだけではなく、1人の人間として大きく成長できたことを実感しています。また、博士課程に進学してからはよリー層研究に集中することができました。私は、脳神経細胞に遺伝子を導入するウイルスベクターと呼ばれる手法の開発・改良研究を行っていました。脳神経細胞に遺伝子を導入することによって、神経回路を可視化したり、脳神経細胞を活性化/抑制したり、脳神経細胞の活動を観察したりすることができます。このような実験により、脳のどの部分がどのような脳機能に関わっているかを調べることができます。こうした知見を蓄積することにより、「脳がどのようにして感情を生み出しているか?」という疑問への答えに一歩ずつ近づくことができると考えられています。私は、このウイルスベクターについて研究し、既存のウイルスベクターを改良することに成功しました。既存のウイルスベクターは遺伝子の導入に時間がかかることが欠点として挙げられていました。私の開発した新型のウイルスベクターはこの欠点を克服し、導入にかかる時間を短縮できる可能性を示しました。私はこの研究成果を元に、国際学術雑誌に論文を投稿し、無事受理されました。論文の投稿に至るまでは非常に険しい道のりがありました。論文を書き上げ研究室のメンバーに見て頂いたものの、最初の内は山のように修正点を頂き、研究と並行してそれらの修正点を一つずつ潰していきました。ようやく投稿に至ったものの、査読者の方からも更なる修正や追加実験を求められました。そういった紆余曲折を経て、無事私の論文が掲載される運びとなりました。最初に論文を書き始めてから雑誌に掲載されるまで、1年以上の時間を有しました。大変なことも数多くありましたが、家族や研究室のメンバーの支えのお陰で数々の試練を乗り切ることができました。自分が何年も取り組んできたことが公的な機関に認められ、その成果を広く社会に還元できたことは、これからの人生において私の大きな支えになると思います。
このように私が研究に熱中することができたのは、本奨学金による経済的な援助に伴う「安心感」のお陰だと考えています。この場を借りて、私を採用して下さったことにお礼を申し上げます。
「私ができるボランティア」
北海道大学大学院 水産科学研究科
匿名
「ボランティア」と聞くとゴミ拾いへの参加や、被災地支援、海外での学校建設など大層なものを想像し、自分にはそんなことできないと思ってしまうことがよくある。しかしよくよく考えてみると、ボランティアの本質は他人に優しくすることであり、日常にはそんな瞬間が溢れていることに気づく。お金も何もない私ができる、私でもできるボランティアについて考えてみた。
私が初めていわゆる「大層な」ボランティア活動をしたのは大学3年生のころだった。 1年間マレーシアで過ごし、現地の中等教育機関で日本語教育のサポートをした。渡航費や生活費の支援があったので正確にボランテイアと呼んでいいのかはわからないが、少なくとも自発的に、マレーシアの子供たちが楽しく日本語を学べるようにと応募した。1年間周囲に日本人がいない環境で過ごすことは、それ自体とてもいい経験になったが、ボランティア活動という目的をもって生活していたからこそ見えてきたものがあった。
1つ目は自分には何もないと思っていても見方と場所を変えれば、できることが見えてくるということである。例えば私は当時英語が得意なわけでもなく、日本語しか話せなかった。しかし見方を変えれば日本語のネイティブスピーカーであり、20年近く日本語を勉強してきたともいえる。英語を学習していれば分かるが外国語の習得はそう簡単なことではない。日本語のネイティブスピーカーというのは日本を出れば大きな武器になる。これを他人のために使えたら、それは立派なボランティアになるということを実感した。ほかにも日本人は掃除が得意だということは有名だ。日本には小・中学校で掃除の時間があり、掃除の仕方は誰でも知っている。しかし海外はそうでもなく、少なくとも私が行ったマレーシアの学校では掃除の時間はなかった。掃除ができるということを自覚し、これを少しでも他人のために行えたらそれは立派なボランティアになる。1年間のマレーシア生活で、見方を変えれば自分にもできることが見えてくるというのを感じた。
2つ目は少しでも他人のことを思いやる気持ちが大切だということだ。1年間のボランティア活動の中で感じたのは、自分がボランティアをしているというより、むしろ自分がボランティアによって助けられているという感覚だった。周りに日本人がいない環境で一人で過ごすのは簡単なことではなかったが、マレーシアの人たちは本当に優しく、いろいろ助けてもらった。観光名所に連れて行ってもらったり、お店でご飯をサービスしてくれたり、単に挨拶をしてくれるだけでもとてもうれしかった。マレーシアにはイスラム教の人が多く、他人を思いやるという意識が生活に根付いているように感じた。きっと日本でも同じことができるはずである。少なくとも自分はそうしたい。
これらの経験から自分が「普段できる」ボランティアについて考えた。例えば研究室には留学生が数人いる。役所や学校で必要な書類申請を手伝うことや近くのおすすめのスーパーを教えてあげるだけでも立派なボランティアだと思うと私は歩いて通学しているが、歩いている時に見つけたゴミを拾い、研究室内で落ちているゴミを拾おうと思う。これらはお金や時間がなくてもでき、私ができるボランティアである。毎日できる活動はこれくらいかもしれないが、まだまだ日常の些細な瞬間にできることが多くあると考えられる。これからも他人を思いやる気持ちを大切にし、私ができるボランティアを考え実行していきたい。
最後になりますが、東ソー奨学会のおかげで本当に救われました。経済的な不安がある中、研究に集中することができ、充実した修士課程を送ることができました。心より感謝申し上げます。