奨学生の声 2017年度

「10年後の私」

北海道大学工学院
匿名

今、自分はどこにいて、そしてこれからどこへ向かっていくのか。日夜、多くの人々が未来を見据え、目標、夢、仕事を考えています。そして、自己実現や目標の達成のために努力し、行動しています。ただ、このように未来について考える上で多くの人が存外意識しない前提として「健康であること」があります。私が自分の奨学金を返還するために働くことができるのも、「健康」の上に成り立つ未来図です。「健康」でない限り働くことができない、未来を描けないというような極端な思いはありませんが、そういった健康(間題なく活動できる状態)を維持する自己管理は重要であると考えています。何らかの理由で自分が働けなくなった場合、自分の代わりに奨学金の負担を負う保証人、自分の代わりに仕事や責任を負う誰かがでるからです。そういった前提を崩さないよう、自己管理と未来の開拓への尽力の思いを込め、この「10年後の私」について考えていきたいと思います。

まず、「10年後の私」について、私が断言できることは3つあります。第一に、本奨学金を返還し終えていること。第二に、今よりも成長していること。第三に、自分のキャリア(人生)の方向性を決めていること。以上の三点です。

 「10年後の私」が行っている一つ目、奨学金の返還についてはできる限り、早く行いたいと考えています。本奨学金によって、大学院で学ぶ二年間を有意義に使うことができました。その感謝の意も添え、金銭については倹約し返還に充てていきます。また、本財団からだけでなく、私は日本奨学金機構からも貸与を受けている身です。仮に働くうえで金銭を得るようになっても、散財することなく価値を見失わぬよう奨学金を借りていたころの気持ちを忘れず、自分を律していきます。したがって、働くうえで得る金銭の使い方として「奨学金の返還」を第一にし、10年後には全て完済しているでしょう。

「10年後の私」が行っている二つ目、それは自己向上です。それに終わりはなく、仕事だけでなくあらゆるところから、学び、行動し、反省する経験学習を通すことによって自分の能力の拡大を図っているでしょう。これは、私の目標であり、願いでもあります。そのように強く思うきっかけは、私は自分の失敗や力量不足に直面することがこれまで数多くあったからです。例を挙げれば、学部生時のタイ留学での出来事があります。当時英語もろくに話せず、現地人とのコミュニケーションに苦労していました。それに加え、同行していた他の日本人からは私の学年が最低であり、私は自分の能力も示すことができず、軽視され、機会を譲る場面が多かった。それでもなんとか、つたない英語で努力し、現地での友人は増えてはいきましたが、「もし、あのときもっと自分に知識と能力があれば」と思わずにはいられない留学でした。

また、大学で研究を続ける中でも、自分の力量不足を痛感することがあります。私の研究はPCでの解析が主要な部分を占めるのですが、そういった複雑なプログラミングに対して忌避していた面がありました。そして、解析シュミレーションがうまくいかなくなった場合、自分の理解不足にぶつかるだけでなく、その度、「勉強し、備えなかったこと」に対して大きな代償を払うことになるということを学びました。壁が現れるたびに、努力しマシな形になっていくことは自分でも感じてはいました。しかし、そもそも事前の準備や努力を続け、実力を養っておけば、研究もさらなる段階に進んでいた可能性もあります。皮肉なことですが、現実を想定したシュミレーションを行う研究をしているものが、自分の研究活動の行く先に起こることも想定できていなかったのです。

この二つの例だけではなく、数多くの経験から多くのことを学んできましたが、やはり経験という教師の授業料は高すぎる面があります。二度も同じ項目を教わるなど、時間を無駄にしているということに近いです。もし、必要能力条件を満たしていたら、と考えるとより多くの経験や活動の幅が広がっていることは間違いないでしょう。したがって、「失敗を繰り返さない」ことと「知識の吸収とその実践」を念頭に10年後の私は自分の能力を磨き続け、より充実した未来へ向かっていることと思います。

「10年後の私」が行っている三つ目、それは自分が進むキャリアの方向決定です。もう就職活動も終え、私は自分の就職先も決まっています。ただ、私の中で、「どのようなキャリアを築いていきたいか、仕事で何をしたいのか」というものが定まっていないのです。大抵の人の理想像は、自分のやりたい仕事と自分が行う義務が一致するところだと思います。もちろん、この考えが定まっている人が多いかというとそんなこともないでしょう。私が出会う人にもよく質間をしますが、仕事に対してコアの動機(これがやりたいという思い)を持っているから選択した、という人は少数派です。そもそも、「実際に働いたことがない」という点がキーポイントであり、仕事に対しての想像と現実のギャップを知らない状態だからです。

私は、この点に関してやはり実際に働いて、身を粉にしてみなければ自分の望む仕事は見えてこない可能性があると考えました。その考えは、正しくないかもしれません。結局、「やりたい仕事」が見つからないことも考えられます。今はそう思いますが、10年後の私、10年間必死で働いた私なら恐らく、自分の人生の方向性について決めていると考えています。働いて見えてこないなら、もっと働き、それでだめなら、自分にはそのようなものがないと諦観し、そういった方向性を決めているでしょう。したがって、「何をするにも一心にやる」ことと「積極的に臨む」ことを胸に、10年後の私は自己の方向性を見定めていると思います。

以上が、「10年後の私」についての考えです。このことを基本とし、10年後もこの基本を忘れないよう、これからの未来に向かっていきます。

「私の人生に大きく影響を与えた人」

九州大学大学院工学府
匿名

私の人生に大きく影響を与えた人は、中学1年の頃の担任の先生です。先生は理科の教員であり、私は先生のユーモア溢れる授業が大好きでした。特に、小学生の頃から興味のあった化学の授業は毎回楽しみで、将来化学に携わる仕事がしたいと思うようになったきっかけは、先生の授業です。

高校に入学してからは、化粧品メーカーの研究者になりたいと考えるようになり、九州大学への進学を目標に勉強していました。先生は母校から他校へ異動していたため、卒業後にお会いする機会はあまり多くありませんでしたが、後輩から先生の話を聞くたびに頑張ろうと自分を奮い立たせていました。しかし、高校3年の夏に、その先生が病気で亡くなってしまいました。若くして亡くなってしまったこと、何もできなかった自分の無力さに大きなショックを受け、同じような病気の人を助けることができるように、医学部へ進学しようかと考えることもありました。

しかし、そんな私を見て、当時の担任の先生がこんな言葉をかけてくださいました。「お医者さんじゃなくても、人の命に貢献できることはあるよ。あなたの好きな化学で、誰かを救うことだってできるんだからね。」

この先生が、もう1人の私の人生に大きく影響を与えた人です。先生の言葉のおかげで、化学には自分の知らない大きな可能性があることを知りました。それからは、自分の決めた道を迷いなく進むことができ、無事に第一志望に合格することができました。

大学、大学院での6年間は挫析の連続で、周りのレベルについていけず落ち込むこともたくさんありましたが、そんなときに心の支えとなったのが、私の人生に大きく影響を与えてくださった、2人の先生の存在です。

研究室では、カーボンナノチューブの分離精製に関する研究に取り相みました。分離精製において、カーボンナノチューブの可溶化剤として機能する分子の合成や、機器分析による可溶化実験の評価、計算化学を用いたシミュレーションなど、様々な方面から課題解決に向けてアプローチを行いました。また、数多くの学会にも参加させて頂き、専門分野以外の研究に触れることで、広い視野を持って研究に臨めるようになりました。さらに私の所属する学料のカリキュラムには、学内での発表の機会も多く、一つひとつの発表に対して精一杯取り組むことで、プレゼンテーション能力の向上にも繋がりました。先生や先輩方の指導のおかげで、2つの賞を受賞することもできました。苦しいこともたくさんありましたが、目標を達成したときの喜びも大きく、充実した研究室生活を送ることができたと思います。

亡くなった先生は学生時代に地学を専攻しており、研究に没頭していたこと、研究者になるか学校の先生になるかで迷った結果、先生になる道を選んだことを後から知りました。先生が理科の教員の道を志していなければ、私は先生と出会うことはありませんでしたし、化学の道に進んでいたかどうかもわかりません。また、高校の恩師にかけられた一言がなければ、別の道を歩んでいたかもしれません。2人の先生との出会いのおかげで、今の私がいるのだと思います。

貴奨学会には、修士課程の2年間ご支援して頂き、経済的な心配をすることなく研究に打ち込むことができました。大学に入学する前は、化粧品の研究に興味がありましたが、研究室でナノ炭素材料の研究に取り組むうちに、素材の研究に携わる仕事がしたいと考えるようになりました。そして、4月からは総合化学メーカーに就職します。これまで支えてくださった全ての人への感謝を忘れずに、先生のもう1つの夢であった研究者として、化学で世界を幸せに、そして社会に貢献できる人になりたいと思います。

「10年後の私」

名古屋大学大学院工学研究科
匿名

10年後、というと私は35歳になる年ということを思えば、なかなか長い時間を生きてきていると思います。しかし、わたしの希望としてはこれからの10年は漠然としたものではなく、あらかじめ目標を立てて、それらを達成することで、振り返ったときに後悔の無い人生にしたいと考えています。

昨今の日本は所謂、先細りの見通しと言えるのは自明のことと思います。そんななかで生きる私は、国を支えるだけでなく、国による保護以外での自衛手段をあらかじめ準備しておくことが大切と考えます。例えば、貯金や投資に始まり、自身の能力を高め、将来の職をより価値あるものにするために、絶え間ない学習という手段があります。そこでわたしは、これからの10年で日本のなかで、これから強く生きていくために必要な能力を得ることを目標にしました。

特に私はここからの10年で自身の能力を高めるために、自身に対する投資として学習を重視し、より知見を広めたいと考えています。現在、多くの企業は海外での事業展開が急務となっています。わたしが就職する企業もその例に漏れないのですが、わたしの印象では企業の要請にたいし、海外での就労希望者は少ないと思います。わたしはこの状況を逆手にとり、以前は行くつもりはありませんでしたが、この目標を持つに当たり、我先にと海外へ行く希望をだそうと考えています。これは10年後を見据えた学習のためです。機械による言語の同時訳が、この十年の間にほぼ確実に実用化されるといわれていますが、それでも機械を用いず、同じ言語を使ってコミュニケーションをとることは、必ず必要です。ですので、いち早く言語を習得するために企業内でのチャンスを利用していこうと考えています。

また、企業で直接必要な知識以外の学習も、積極的に行おうと考えています。もちろん、企業で働く上で必要な分野の学習は生涯必要です。しかしそれだけではなく、あえて関係の無さそうな分野にも目を向け、企業での活動にいかしたり、自身のキャリアアップも考えていくことは大切だと考えます。

最近発展してきた分野にも目を向ければ、金融革命とも言われる、ビットコインをはじめとした暗号通貨や、特化型と言えど人間をついに凌駕した人工知能をふくむIT業界は学ぶ価値が大いにあります。またIoTはあらゆる業界に革命的な影響を与えるでしょう。それらの思恵を十分に預かるためには、他の業界の人間であってもそれらを知っておくことが必要です。

これはなにもloTだけに当てはまることではなく、必ず次の革命があるはずです。わたしはこれから10年の学習でその次の革命を察知し、いち早くその恩恵を得られればと思います。

加えて、できれば十年後までには結婚もして子供を育てていたいです。これはここまでの自衛のための行動とは別で、単なる希望です。いままでに働いたアルバイトの中に学童保育がありました。これは市が行っている事業で、共働きや介護などで親が子供にかまってあげられていない状熊、つまり待機児量を学校でまとめて管理し保育するというものです。ここで働く中で、他人に物を教え、それがその人の為になる様子を見守ること、達成感を与えられることの喜びを知りました。相手が自分の子供となるとより行動に責任を感じながら教えて行う必要がありますが、学童保育で学んだことがいくらか活かせていけたらよいと思います。

これだけの視野を持って学業に専念できたのも、東ソー奨学会からの奨学金があったからこそだと感じています。これからの十年はここで書いた目標を胸に、歩んでいきます。

「私が学生時代に打ち込んだこと」

東京工業大学工学院
田澤浩二

私は研究室に所属した学部4年生以来、経営科学系研究部会連合協議会が主催するデータ解析コンペティションというコンペに毎年参加してきました。このコンペは、実社会において収集されたデータを解析し新規性と実用性を兼ね備えた分析を行うことを目的としており、毎年8月から3月まで半年近くにわたり一つのデータに向き合います。私の研究室では毎年、先輩後輩が一緒にチームを組み参加しています。このコンペへの参加を通じ.本当に多くのことを学ぶことができたので、ここではそれについて紹介したいと思います。

ビッグデータや機械学習という言葉は、今でこそ多くの人が知っており、データを解析して何らかの精度を競うコンぺも増えてきました。なかでもデータ解析コンペティションは、24年という長い歴史を持っており、大学院を卒業する私と同い年ということになります。ただ他の多くのコンペのように予め定められた目標に沿って分析したり、何らかの予測精度を競ったりするわけではありません。例えばスーパーのレジで記録された膨大なPOSデータを与えられ、各チームがそれぞれ独自の視点、課題を設定してデータを分析します。表彰においては、機械学習手法など分析手法の新規性、実ビジネスへの応用可能性、プレゼンテーションにおけるわかりやすさ、の3点が評価基準となっています。手法の新規性が合っても実際に使えなければ意味がなく、実ビジネスに使えそうでもありきたりな分析では評価が低くなります。いわば理系的な面と文系的な面の双方が評価されるといってよく、まさに経営科学的なコンペとなっています。

私の研究室では、私が所属する数年前から、データ解析コンペティションの複数部門のうち、いずれかでは最優秀賞をいただくことが続いていました。学部4年生で参加した際には、先輩とチームを組みましたが、コンペへの参加経験がある方はおらず全員がデータ解析初心者でした。この年度において提供されたデータは、ある区役所の窓口における待ち人数に関するデータでした。普段頻繁に利用するわけではない区役所のデータである上、「待ち行列理論」に関する知識も必要とされる難しいデータでしたが、「窓口の担当人数を最適化させる」という課題を自分たちで設定し、基礎分析やシミュレータの作成、最適化問題の定式化や求解を行いました。結果、予選会で一位にあたる殊勲賞を頂き、決勝に当たる成果報告会でも最優秀賞をいただくことができました。

この年度のコンペでは、はじめての参加だったこともあり多くのことを学ぶことできましたが、特に2点紹介したいと思います。1点目は、すばやいトライアンドエラーの大切さです。分析手法の開発で主導的だった先輩は、プログラムを書いては実行してエラーが出たら修正するという作業をどんどんと繰り返していました。これはデバックとよばれる作業ですが、細かいエラーは抜きにしてともかく実験してみることで方向性を見通したり、不十分な分析に気付くことができました。結果として緻密な分析と信頼性の高いシミュレーションを行うことができました。失敗を恐れず行動をおこすことの重要さを学ぶことができました。2点目は、課題解決の楽しさです。一見取っ掛かりがなかったり、抜け漏れがあるデータを前にして基礎分析を行い、課題はなんなのかを考える作業や、見つけた課題を、時には新しい手法を提案しながら解決する作業が、とても知的で好奇心の対象に満ち溢れているものだと知ることができました。コンペを通じて感じた、難しい課題を解いていく楽しさをもっと味わいたい、という気持ちは就職活動における「軸」ともなり、この春から戦略系コンサルタントとして働くことにもつながっています。

修士1年生の年度では、アパレル系ECサイトのPOSデータが提供されました。大規模な顧客に対する、精度と実用性を兼ね備えた商品推薦手法を提案し、この年度も予選会において殊勲賞、成果報告会において最優秀賞をいただくことができました。しかし、1年目には感じなかった困難を学ぶことができました。それがチームマネジメントの難しさです。この年のチームは、修士1年生が2人、学部4年生が2人という構成で、私はミーティングでのファシリテーションや分析の計画立て、メンバーへのタスクの振り分けなども行いました。しかし、無理な計画の立案をしたり、後輩たちへのタスクの振り分けを多くしすぎたりすることが多くありました。最終的に最優秀賞を取れたとはいえ、個々のメンバーの能力や、チームの団結力を最大限発揮できたとは言いづらい内容でした。チームとして仕事をしたり、そのチームをまとめたりする難しさを感じました。

修士2年生となった今年度は、サービス業におけるPOSデータが提供され、修士2年生2人、修士1年生2人、学部4年生2人の6人でチームを組みました。自然言語処理技術を会計履歴のデータに応用し、店員と顧客の相性を数値化する手法を提案しました。ビジネス的な応用可能性も高く、また、学部4年生以来最もチーム力を発揮することができました。予選会では殊勲賞をいただき、チーム全員が自信を持って成果報告会に望むことができました。今年度一番の学びは、この成果報告会で感じた挫折でした。最優秀賞はおろか、入賞することすらできなかったのです。手法や応用可能プレゼンテーションの評価は、自分たちではなく審査員が行いますし、15分間のプレゼンテーションでは、すべてを伝えきれなかったのかもしれません。しかし最優秀賞を頂いた一昨年、昨年の反省や教訓を活かし、これまでよりも自信がある内容で入賞できなかったため、チーム全員がとても悔しい思いをしました。卒業、就職してしまう自分にとって最後の出場となる今年度、入賞して終われなかったことは、頑張ってもうまくいかないこともある、という当然のことを知るきっかけになりました。

3年間データ解析コンペティションに全力で取り組み続けた結果、恐れずトライアンドエラーすることの大切さや、課題解決の楽しさ、チームマネジメントの難しさ、そして挫折を学ぶことができました。つい先日味わった挫折という経験はまだ活かす機会を得ていません。しかしこれから社会人となって日本や世界に貢献していくなかで、きっとこの経験が活きるのだと信じています。

最後になりましたが、コンペへの参加を始めとする学生生活を奨学金という形で支援していただいた東ソー奨学会に、感謝をいたします。ありがとうございました。